犬の病気 免疫介在性溶血性貧血 ガンマガード 輸血 記録
こんにちは、masamiです。
愛犬が亡くなって、1年半が経ちました。
病気に気づいてから亡くなるまで毎日インスタグラムに記録していました。
ですが、ずっとその箇所を見れずにいました。
愛犬がまさかこんな病気になるなんて思ってもみてなかったです。
と同時にこんな病気があることも知らなかったです。
どうしようもない病気ってあるんです。
自分が悩み苦しみ抜いた、二度と経験したくない日々です。
私が苦しんで検索して誰かのブログを読んで励まされたり、インスタグラムで同じ病気を経験した飼い主さんに相談したり、励まされたりしながら日々を過ごしました。
なので、いつか、自分の気持ちが落ち着いたら、振り返って記録を書こうと思ってました。
ここに辿り着いて欲しくないですが、もし辿り着かないといけない事態になっている人がいたら、その人の参考になればと思い書いてみます。
Contents
元気な頃の舞
この頃は、8歳8か月。
まさかこの1年後に重病になるなんて、これっぽっちも想像してませんでした。
病気になっても早期発見して治すために毎月定期検診してもらってました。
定期検診以外でも、ちょっと様子が変と思った時はすぐに病院に連れていってました。
それぐらい愛おしくて私の生きがいでした。
2017年8月30日
散歩を嫌がるしぐさは要注意
今思えばなのですが、気が付くと、散歩に連れて行っても10分ぐらい歩いたら、ウンチもオシッコもし終わって、私の顔を見て「もうそろそろ帰りませんか?」とでも言ってるかのような感じでした。
夜の散歩の場合は、それに合わせて帰ってましたが、朝とか土日の朝などは、あまりにも短い時間の散歩だと足腰が弱くなると思い、嫌がる感じでしたが、20分ぐらいは町内をぐるりと一周したりしてました。
あとで調べてわかったのですが、この病気の本当の初期の症状の1つで“散歩を嫌がる”といった症状がみられるみたいです。そう書いてあったのを見つけました。
この散歩を嫌がり始めた時は、病気に気づく1年前ぐらいです。
さすがの私でもこの行動が変だとは思えず病院に連れていくという発想はなかったです。
でもこの時に連れて行って、この病気に辿り着けたとしたら、舞は今でも生きてたと思います。
病気に気づいた日
2018年7月11日
この日は、帰宅すると、こんな風に“申し訳ない”とでも言ってそうな元気のない顔で私を見てました。
いつも私が帰ってきたら大はしゃぎしてくれるのに、この日は明らかに元気ないって感じで尻尾も上がることなく下がったまんまでした。
私は仕事があったので、翌朝、主人に午前中に病院に連れて行ってもらうように頼みました。
7月12日
腰痛と診断されました。
いつも一緒にベットで寝てたのですが、朝起きる時にいつもベットから大はしゃぎして床に着地してたので、そのうち腰痛になるかも・・・とは思ってました。それが実際腰痛になってたみたいです。
でもその診断中に先生がお腹を触ったのですが、熱いことに気づき「あれ?」と思って正式に熱を測ってくれて、熱があることがわかりました。
炎症を起こしてるかも知れないということですぐに血液検査もしてくれました。
結果、白血球の1つの種類の数値が異常に高いことがわかりました。
この時点で腰痛と熱が出ることは関係がないと先生は言ってました。
翌日に再検査にいくことになりました。
この日は、日中3回吐いて、ごはんも食べず。
7月12日
翌日は、熱は下がっていたが元気はないまんま。
7月18日
何となく歯茎をチェックした私。
相変わらず食欲がなかったので、そのついでに何となく歯茎を見たのだと思います。
そしたら歯茎がいつもより白っぽい。ウンチも下痢っぽいことに気づく。
私は舞が全てだったので、既にこの時点で舞が笑わないので私の不安感は増していってました。何をしてても気持ちは晴れ晴れすることなくどんよりしてました。
この免疫介在性溶血性貧血という病気の症状の1つが、歯茎が白くなるんです。
この歯茎が白くなるということはインスタグラムで同じ病気のワンコの飼い主さんから教えてもらいました。
このことを知ってから毎日歯茎の色をチェックし続けました。
最後の亡くなる日の舞の歯茎の色は真っ白でした。
7月19日
病院へ。
腰痛再発。食欲ないまんま。点滴で栄養補給。
エコーで内臓を見てもらったら脾臓が大きくなってることがわかる。
でも、脾臓の元の大きさがわからないので、定期的に検査していくことになった。
この時点で脾臓が大きくなっているのは、後々まで関係していきます。
結果、9月上旬に脾臓摘出手術をします。
脾臓をこの時点で摘出していれば寿命は延びてたかも知れません。
ですが、この時点では、まだそこまで重症な病気ということがわかってなかったので摘出手術という発想にはたどりつきませんでした。
このあと、免疫介在性溶血性貧血ということがわかった後でも、脾臓が悪さしてたのですが、この貧血の数値が安定しない限りは輸血しながらの命に係わる危険すぎる手術になるので、そこまでは踏み切れずに日々が過ぎてました。
7月20日
私が会社に出かけるまでは元気だったけど、主人が見たら元気がなかったので、主人が慌てて病院へ連れて行ってくれました。
白血球と肝臓の数値が良くないことがわかった。
精密検査するために外部に血液を調査に出してもらう。
この時点で白血病の疑い。
7月21日
主人と病院へ。
精密検査の結果を先生が説明してくれました。が、話の内容が難しいのと動揺してたので殆ど覚えてませんでした。
わかったこととして、舞は自分で血液を作っているが、10%が貧血状態になっているということでした。
内出血してるわけでもないので、自ら作った血液を自ら破壊していってるということを知らされました。
“あれ?おかしい”と気づいて、5回病院に連れて行き、10日後に、免疫介在性溶血性貧血という病気に辿り着きました。
この時点で、うっすらと簡単には治らないかも知れないという不安は感じてました。
この日から毎日の通院がスタートします。
この病気は飼い主さんが気づきにくいことが多いみたいで、気づいて病院に連れていくも、一週間もしないうちに亡くなることは多いみたいです。
私も単に夏バテで元気ないんかな~と一瞬思ったぐらいですから。
たまたま、過保護と言われようが、親ばかと言われようが、私は舞が生きがいだったのですぐに病院に連れていけたから、すぐに亡くなるということは避けれました。
この病気はそういう病気だと言われました。
毎日赤血球の数値を測らないといけないんです。
これをしないと、急激に下がってしまって輸血しないといけない状態になったりするんです。
でも急にそんな状態になってもすぐに輸血って、出来ないんです。
犬の血液は、保存できる期間が短くて、基本的には保存されてないんです。
なので、例えば、輸血が必要な時期が明日ぐらいかなとなったら、その前日か、輸血する朝に献血犬から血を採取してもらって昼から輸血開始したりするんです。
私が通っていた病院は、先生が血液を準備してくれるから良かったのですが、病院によっては、輸血用の血液を献血してくれる献血犬を探さないといけない場合があります。
たまに、インスタグラムでも献血を呼び掛けている記事があったりします。それを見るたびに心みます。
なので、これを読まれている方々は、今通っている動物病院は輸血の場合どういう風にしてくれるのか確認しておくのもいいかも知れません。
少し話がそれましたが、私が通っている病院は毎週水曜日が休診日ですが、本当に毎日血液検査をしてたので、休診日でも特別に先生は都合をつけてくれて診てくれてました。
なので本当に毎日通いました。
私は朝から夕方まで会社に通ってたのですが、たまたま主人が店をしてて夜はたらいてたので、毎朝病院に連れて行ってくれました。
7月24日
舞が普通にしてる時でもハアハアし始めた。
発病から2週間後。
この時、真夏で暑いからハアハア言ってるのだと思い、涼しくさせてあげるためにサーキュレーターを買いました。
でもこのハアハアしてるのは暑さのせいではなかったんです。
赤血球が少ないから酸素が足りてなくてハアハアしてたんです。
7月26日
毎日通院して舞の病気に合う薬を模索中。
舞の異変に気付いてから2週間経過。
この日から舞の顔が変わってきた。
しんどいのと薬が原因。
この時はたまらなく悲しかったのを覚えています。
目力はなく、どこを見てるかわからない感じの目つきになりました。
口元も泡が溜まってて明らかに普通じゃない。
7月27日
初めて腹水が溜まる。
食欲ない。
嘔吐と下痢あり。
この時はまだ、先生がいろんな薬を処方してくれてたけど、私も具体的に薬の名前とか効果を確認してませんでした。
7月30日
ようやく、ヘマトクリット値というものが何なのかについて調べ始めた。
この日からグラフをつけるようになった。
先生が毎日血液検査をしてみてた数値の1つがこのヘマトクリット値でした。
HCTと記号で書かれてることもあります。
これが下がるとダメで、上がると見通し明るくなるという、そういう数値です。
この毎日測る数値で私たち夫婦は、舞が亡くなる日まで振り回されます。
7月31日
舞は元々そんなにガツガツ食べる子ではなかったのですが、あまりにも食べなくなってたので、このころは食べてくれそうなものを常に探して、手作りごはんとドッグフードとを混ぜてあげるようになりました。
この時期は、鶏肝とかサツマイモとか上げてました。
鶏肝は貧血にいいと聞いてたのであげてました。(写真は生肝ですが実際はちゃんと茹でて食べやすい大きさに切って小分けにしてあげてました。)
でも後でわかりましたが、ただの貧血ではなかったので鶏肝をあげても血液を作ることの役には立ってなかったんです。でもその頃は必死で、信じて一生懸命、美味しい鶏肝を買って作ってあげてました。
サツマイモは舞が小さい頃から好きだったので、生きるために何でも食べてもらいたいという思いでほぼ毎日あげるようにしてました。
そうこうしてたら生肉も犬は好きということを教えてもらい、与えたことなかったのですが、スーパーでお腹を壊さないようにするために我が家の家計的には贅沢な牛肉を買って与えました。
我が家はパピヨンが3匹いるので、みんな平等にあげてました。
8月4日
舞が少し元気になり、薬がうまく作用したようでHCTの値も上向きになり、一瞬安心した頃でした。
目力も感じられた時期でした。
これで大丈夫かもと思えた時でした。
1ヶ月弱必死でやってきて、これで何とか乗り越えたと思えました。
8月9日
久々に元気な笑顔が見れた日でした。
この頃は、薬の量が多くて、毎回主人があの手この手を使って飲ませてくれてました。
舞は本当に薬を飲まない子でした。
薬を見つけるのが上手で、一回薬を飲ませようとしたことがわかると、薬を包んでないものを上げても警戒して食べなくなる子でした。
この時はまだ治らない病気はないと思ってました。
8月10日
これで良くなっていってくれると思ってたい矢先。
舞の体の一か所にしこりのようなものを発見。
毎日触ってチェックしてたのに急にしこりを発見。
この時点で、声には出してませんでしたが、やばいと思いました。
免疫力が減ってきてて、さらにこのしこり。もう長くはないのかなと思ったのはこの時でした。
のちに、これが肥満細胞腫ということがわかりました。
免疫力が減ってくると発症するというわけです。
これが発症してなかったら舞は完解出来てたと思います。
これが発症してしまってから、残念ながらイイ話はなくなっていきました。
8月19日
この時期ぐらいに、ヘマトクリット値が何をどうやってもあがらないことにイライラしてました。
早期に発見して、あれやこれやと治療を施してもらっても良くならないという病気があるんだということを思い知らされた時でした。
8月21日
このころ、病院からもらう薬の中には、造血剤が入ってました。
このころぐらいから先生と薬の効果とか、食べさせるものなどの相談をするようになりました。
ネット検索してたどりついたフードを食べさせるようにしたのもこの時期でした。
先生にも食べさせても治療の邪魔にならないか確認しました。
当時、舞は本当に食に興味がなかったので、食べてくれるものであればなんでも与えてOKと言ってくれてました。
それだけ、食べないと治るものも治らないという状態でした。
その時に注文して食べさせ始めたのがこれでした。
【長生きしてほしい!】
『熟成鹿肉』と『マクロビオティック』の強力2大コラボのスペシャル長寿ドッグフード
もしもの時にお試しください。
出来れば、このフードを知ることのない生活がいいですが・・・。
8月25日
この頃は、舞が朝晩と、ごはんを食べてくれるかどうかが毎日の勝負でした。
ステロイドを注射すると、副作用で、おそろしく食欲が増すんです。
一瞬、元気になってくれたかと思ってしまうのですが、違うんです。
その効き目が減ると一気に食べなくなるんです。
この舞の反応に一喜一憂させられてました。
このころに鹿肉とか馬肉などの生肉は栄養が非常に高くて、犬ががっついて食べてくれると教えてもらい、買いました。
なので、あちこち探して何種類か買いました。
友人も鹿肉をプレゼントしてくれたりしました。
見事に馬・鹿の生肉は、ものすごいがっついて食べてくれました。それが私の嬉しいことでもありました。
この日、舞のHCT値が下がり、先生がガンマガードをすることを提案してきました。
この時点でのHCT値は18%。
ガンマガードとは?
点滴で6時間かけて施すもの。
犬が一生で一度しかできないもので、よっぽどの事態になった時に最後の手段としてやるもの。
それをこの日に提案されました。
つまり今がよっぽどの事態ということでした。
このガンマガードは、体力の余力が残ってないタイミングでやってもダメなんです。
回復する力が残っているであろうギリギリのタイミングを先生が見極めるんです。
ガンマガードは、合えば、うまく作用して、そこからヘマトクリット値が上昇し始めて、自分で赤血球を作り始めだして完解に向かったりします。
それがすぐに作用し始める子もいれば、一週間ぐらい経ってから作用する子もいると聞き、一週間経つまで毎日血液検査のヘマトクリット値が上がることを祈る思いで測ってました。
きっとうまくいくと信じて毎日過ごしてました。
ですが、結果、ダメでした。
9月1日 輸血1回目
HCT値がとうとう輸血すべき数値になり初輸血。
先生の基準としては、15%を切ったら輸血とおっしゃってました。
この日は、その15%を切った14.1%まで下がってしまいました。
この頃は、ガンマガードの効きめがなくて、かなり落胆してました。
でもまだ舞はハアハアしてたけど、まだ生きる気力を感じれてたので頑張れました。
9月4日
輸血の効果は少しあって、HCT値はあがりました。が、この日から舞の声が変わりました。
ハッキリした声ではなくて、こもったような声に変わってしまいました。
9月6日 脾臓摘出手術
輸血して数日調子よかったのに、急に食べなくなりました。
犬の血管って人間みたいにすぐに見つかるものではないそうです。
なので、一度右前足に注射針を刺したら、次は違う足を使うんです。
続けて同じ足ではできないので、この写真でわかるように前足両足針を刺してます。
もうこのころは、すっかり顔がやつれてますね。
翌日、病院に行ったら、脾臓が異常なぐらいはれていたことがわかったため、そのまま病院に預けて、その日の夜に脾臓摘出手術することになりました。
普通100gの脾臓が400gにまで大きくなってたそうです。
だから体重が増えてたということがわかりました。
元気に回復してくれて体重が増えてる?と思いたかったのですがそうではなかったということです。
9月9日
お見舞い2日目の舞。
今思うと、この脾臓摘出手術は舞の体へのかなりの負担になったなと思います。
でもこの手術をしなかったら一週間ももつことなく脾臓が破裂して死んでしまってたと思います。
そう思うと私と主人の心の準備が出来てない時に死んでしまってたら気がくるってしまってたんじゃないかなと・・・。
この時点は、肥満細胞腫は体にあるまんまです。
取り除きたいけど貧血がずっと安定しないままだったのと、肥満細胞腫の大きさが大きいまんまで小さくなってくれてなくて手術が出来ない状態でした。
この時ぐらいから、先生もてんてこまいな感じだったと思います。
貧血を下げ止めることと、肥満細胞腫を小さくさせることと、脾臓摘出手術した傷口を塞ぐことを必死で頑張ってくれてました。
9月15日
もうこの時点で輸血は3回してます。
毎日ボディチェックはしてました。
この日ふと、2か所しこりを見つけました。合計3か所。
後日、これも肥満細胞腫ということがわかりました。
この頃は、何度も輸血してるので、輸血用のハリを刺したままにするために包帯をして固定していました。
舞も嫌がって取ろうとするかなと思ってましたが、もうそんな気力がないみたいでした。
透明の病院のカラーは長期間つけるのもかわいそうになり、布のカラーを買ってあげました。
ご機嫌さんで付けて過ごしてくれてました。
この布のカラーは、見てて病気の犬っぽい雰囲気が和らぎ、見ててかわいいなと思いました。
汚れたら洗濯も出来て、常に清潔な状態で過ごせました。
もうこの時の舞は、当然シャンプーは出来ないし、薬の副作用で口の周りはよだれでドロドロで、ニオイも臭かったです。
なので、少しでも体に負担をかけないようにしながらキレイにしてあげるかを頑張ってました。
このころの舞は、階段を上がらなくなってました。(病気発覚から2か月後)
脚力がなくなってきたのだと思います。
あれだけ犬一倍お転婆だった子がこうなってしまうとは・・と悲しかったのを覚えてます。
それと、薬の副作用でおしっこが近くなってたのもこのころでした。
元気な時はオシッコで粗相することはなかった舞ですが、この時期の舞は間に合わないことが目立ったので、私も主人も自主的にトイレをさせるように誘導してました。
9月20日 リンパ腫発覚
脾臓摘出手術の脾臓の検査結果がわかった日でした。
リンパ腫の可能性が大とのことでした。
この時点で、脾臓を摘出したのにヘマトクリット値が上向かないので、このリンパ腫が悪さをしているとの判断をしました。
良くなる可能性は20~30%でしたが、この日から抗がん剤治療をスタートすることにしました。
もうかなり痩せてます。
元々5.6kgあったのですが、この時点で5.0kgなかったんじゃないかな。
9月24日
5回目の輸血が終わって帰ってきた時の舞。
輸血すると目力が強くなってました。
なんか生命力を体に注入してもらっては延命してたって感じですね。
この頃に、一度献血してもらった犬からの2回目はもらえないってことを知り、舞がこの先輸血がまだまだ必要になった時に献血してくれる犬がいなくなったらどうしよう・・・と不安になったことを覚えてます。
怖くて不安になったので先生に聞いたことも覚えてます。
先生の答えは、まだまだ献血してくれる犬はいるから大丈夫って言ってくれてました。
もう手も足も細くなり、刈り取られかわいそうでした。
この日からオムツもスタートしました。
ステロイドを使うとお水をたくさん飲むので、夜寝てる時に気づかずおもらししてしまったんです。
なので、寝る時は、犬用のオムツを買って履かせ始めました。
これも初めてのことなので、嫌がって外してしまうかなと思ってたのですが、そんな気力がないのか、気にならないのかわからないままですが、外れることなく、夜中オシッコしてしまってましたが、漏れることなく、しっかりオムツが役割を果たしてくれてました。
9月25日
舞のヘマトクリット値のグラフ。
見事に輸血しては一時的に上がって、徐々に下がり、また輸血して・・・の繰り返し。
9月28日
この頃、ごはんも殆ど食べてくれず。
見た目も細くなり、目力もない。
抗がん剤治療もしてるのもありしんどい感じ。
見ててつらかったな・・・。
もうはしゃぐこともないし笑わなかったけど、それでも、生きてくれてることが嬉しかった。
9月30日
この日、6回目の輸血をしました。
この日からもう舞は長く生きれない気がして、一緒に写真を撮っておきたいと思い、主人に撮ってもらいました。
先生から、今まで治すことを目的に治療をしてきたが、抗がん剤治療も1クールしてみたが効果は見られないということで、これからは様子を見ながら出来ることを相談しながらやっていくということになりました。
普通小型犬で輸血6回もする状態となると、もっとぐったりしてるものだけど、舞はまだ生きる気力があると言ってくれてました。
でもこの時点で肥満細胞腫は5か所ありました。
10月2日
亡くなる6日前。
この時はまだもう少し生きててくれると思ってました。
でも体重は軽くなったな~と思ってました。
この日も輸血しました。
もう2~3日に1回輸血してました。
10月3日
愛おしくてたまらなかった。
写真撮れるだけ撮っておこうとしてたな・・。
前足の輸血跡が痛々しい・・。
10月6日
亡くなる2日前。
まだまだ目力はあったんだけどな・・・。
10月7日
しんどそうだけど、まだ目で私の動きを追いかけてくれてたのよね・・。
いつも輸血してもらったら元気に回復してたのに、この日は、輸血した後も体に力がはいってない感じで歩けなくなってました。
前日までゆっくり歩けてたのに、この日は歩けなくなってました。
体全体の力も抜けててふにゃふにゃでした。
7~8回吐いて、ウンチは血が混じった下痢でした。この血は、輸血された血が体をめぐることなく出てしまったんだと思います。
でもなぜか、最後、殆ど食べてなかったのに、私が蒸してあげたサツマイモをたっくさん食べてくれたんです。
それが最後の舞の美味しそうに食べてくれた姿でした。
10月8日
舞、9歳10か月 虹の橋のたもとへ。
この日も病院に連れて行く気満々で準備してたら、ちょっと様子がおかしいことに主人が気づき私を呼んでくれて、急いで舞のそばにいったら、私たちが揃って数分で息を引き取りました。
なぜか、その息を引き取った瞬間だけ記憶が飛んでるんです。
その後思いっきり泣き叫んだのは覚えてるんです。
そして、病院に報告しました。
闘病記録まとめ
●2018年7月11日 様子がおかしいことに気づく
●7月12日~10月7日 通院60回
●脾臓摘出手術
●ガンマガード1回
●入院4日間
●輸血8回
今回、この記事を書くのに、改めてインスタグラムの写真を見て、文書を読み返しました。
まだ思い出したら涙がでます。
正直途中でやめうかなと思いました。
でも当時、この病気について情報が欲しくて必死に探してましたがほとんどありませんでした。
なので、今回はそのお役に立ちたいと思い、最後まで進めました。
もし、この内容を読ん疑問などありましたら聞いてきてください。
私でわかることがあればお答えします。
最後まで読んでただきありがとうございました。
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masami
初めまして。 1970年生まれの“女”です。 何度もダイエットを繰り返してます。40代半ばから異常な体重増加が続いており、さらなるダイエットに励んでるところです。 自分に自信が持てる体重に戻ることを夢見て、”ブサイクではない中年女子”を目指してます。
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